お母(かあ)の小さい頃のこと…

お母(かあ)が小学校に入学する前まで、実家では炭焼きで生計をたてていたんだって。おうちから三キロくらい離れた山に小屋を建てて、何軒かで共同で木を切り倒して炭を焼いて…その山の木を全て切り倒したら別の山に移って…20年くらい経つと最初に切り倒した山の木が再生するから、又その山で炭焼きをして〜って繰り返しながら炭を売って暮らしていたんだよ。もちろんそれだけでは生活できないから、植林の仕事に行ったりもしたみたい。兄(あん)ちゃんや姉ちゃんが学校に行ってしまうと、お母(かあ)は一人で留守番をしたり、炭焼きに行く父ちゃんや母ちゃんについて行くこともあったんだって。途中に川があって、水量が少ない時は橋の代わりに並べた石の上を歩いて渡ったり、母ちゃんにおぶってもらったり、水量が多いとおぶっても危険で渡れないから「一人で家に帰って待ってろ」って言われるんだって。お母(かあ)は、ジャブジャブと川を渡って行く母ちゃんが見えなくなるまで見送ったあと、笹藪やススキ原に造
った狭い道をかき分けかき分け一人で3キロの道を帰ったんだって。母ちゃんが帰るまで待ってようと思って、川のそばに咲いているカタクリの花を摘んだり、川に石を投げて遊んだり、サンショウウオの卵を見つけてすくって遊んだり、どこか渡れる場所がないか探したり…そんなこともしたんだって。お母(かあ)は小さい頃の自分が「親の言い付けをちゃんと守って一人で川を渡らなかったこと」を誉めてあげたいんだってさ。無理して渡っていたらきっと水の勢いに流されて誰にも助けてもらえなくて、今のお母(かあ)はいなかったかもしれないもんね。暗い笹藪や、どこまでも続くススキ原を一人で歩いて帰る小さな自分の姿を思い出すとちょっぴり胸が詰まって「お利口さんだったねぇ」って頭をナデナデしてあげたいんだってさ。それができないからお母(かあ)は、ぼくをナデナデしてくれたよ。だからぼくもお母(かあ)の顔をペロペロしてあげたんだよ。
今日の写真はこの前の朝の散歩の時に、雪で隠れた側溝の臭いが気になったから、隙間から入り込んで時々穴から顔を出しているぼく(夏輝)だよ。お母(かあ)が「モグラ叩き」みたい…ってカメラを向けるんだけど、どの穴から顔を出すかわからないからうまく撮れないんだって。